1914年~1944年の30年間、このテニアン島は
日本統治時代でした。約2万人の日本人が住み、
そのほとんどの方は「南洋興発株式会社」で働いていました。
主に、製糖業・酒精及び清酒業などで
中でも製糖業は、「砂糖の島」と呼ばれ東洋屈指の工場となりました。
いくつかの砂糖きび畑があり、この神社は第4農場の人々によって
建てられました。
この辺りにも学校や病院、たくさんの方が住んでいて
砂糖きびの刈り入れ時には、神社では収穫祭もあったそうです。
1の鳥居には大きな火炎樹(別名:南洋桜)があり、
当時は日本の桜を想いながらお花見もしたそうです。

今では戦争で本殿はなく1と2の鳥居が残るのみですが、
以前いらした大徳寺先生曰く、「この神社は本殿がなくてもまだ天に繋がっている」
とおっしゃっていました。
それがきっかけで、私達もお酒・お米・お塩を持ってお参りに行っています。
本殿の前で、慰霊団の皆さんと一緒に歌った「みかんの花」が
いつまでも天高く神様まで届きますように・・・。
Kaori
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